考えがめぐる夕方のおさんぽ…いま自分にとって本当に必要なこととは [考える]
のんびりおさんぽにいってきました。
そこまで寒くないから、ダウンコートを着て歩いていたらあついくらい。
まだ少し明るさがのこっているうちに歩きはじめる。
澄んだ空に夕日のあかさがよく映えて、少しずつあたりがうす暗くなっていく瞬間、、いちばん好きなおさんぽ時間です。
何ともいえない深みのある空のいろと、冬のすこしとがった空気。
自分の中身が外の新鮮な空気に浄化されて、まるごときれいに生まれ変わるような感覚がして、こころがすっきりする。
今日はすきま時間のリフレッシュが目的だったから、4,867歩と歩数は少なめ。
「よし、今日は運動するぞ!」と意気込んで、張り切って早歩きするときはだいたい1万歩前後。
嫌なことがあって、ただひたすらゆっくり歩き続ける日は、2万歩くらい歩くこともある。
さんぽをしていると、いろんなことを考える。
今の自分のこと、これまでのこと、これからのこと。
頭の中にたくさんある棚の、引き出しの中身をのぞいてみる。
ラベルがついていない、あるいはすでにラベルがあるものの、上から別のラベルを貼りなおす可能性のある、たくさんの引き出し。
その中にある、ジャンルを問わない、いろんな種類のことについて考える。
それぞれ、取り出して眺めてみるたびに、ちがう色や形にみえる。
おかれている状況や、そのときの心模様によって見え方がかわるから、いまの自分には、まだ整理できないことなんだな、、と。
むかしは、いまよりもっと、せっかちで、結論を出すことに急いでた。
よく噛まず、鵜呑みにして、容量オーバーして、消化不良になって。
それでも、取りあえず引き出しの中に入れて、ふたをして、適当なラベルをつけて、だいたい似ていると決めつけた分野の棚にしまった。
自分のなかにある尺度があいまいなとき、心に余裕がないとき、環境や状況が悪いとき。
ものごとの判断がうまくいかず、後悔してしまうこともしばしば。
だけど、それも、失敗ではないはずだから。
深呼吸して、あたたかくて甘いものをたべて、ほっとして、、落ち着いて体制をたてなおそう。
本当につらくてどうしようもないときは、ひとまず離れてみること。
これができるようになるまでは、本当に苦しかった。
毎日のように、夜になると自然に涙があふれて、お酒を飲んでさらに泣いて、のどがからからになって、心が冷たくなって。
でも、今になったら、、自分を失うことがなければ、何度でも、やり直せると思う。
全く同じことは無理だったとしても、別のことだけど同じ本質で、似てることは何回でも起こってくるから。
辛いときには「ここしかない」とか「こうしかできない」とか、、どうしようもない、逃げられないと思っていることでも、離れてみたら案外そこまで大切じゃなかったと思ったりする。
「何でもっとはやく離れてみなかったんだろう」って。
断ったり、捨てたり、離れたりするって、悪い状態にひたっているときは、とっても難しいこと。
今の自分がベストの状態で向き合えることばっかりが、日々おこるわけじゃない。
やってみて、対応が無理そうなことだったら、いちど離れて、いつかまた向き合えるときがくるまで、力をたくわえる。
少し余裕ができたら、頭のなかの引き出しのなかをのぞいてみて、改めて振り返って考えてみればいい。
次に似たことが起こったときには、きっと自分が納得するような対応ができるはず。
誰かの目を気にして「うまく行かなかったらどう思われるか」は考えないようにしよう。
自分の人生だし、できるのは自分のことだけ。
他人が勝手に思ったり言うことは、コントロールできないから。
とりあえず、放っておく。
勝手な人たちは、案外すぐ意見を変えたりして、きちんと対応していたら、びっくりひょうしぬけするような結果になるし。
しんどいときは、ひとまず、頑張るのをやめてみよう。
どんなことでも。
いろんなものをそぎ落として行って、残るものだけが、いま自分にとって本当に必要なことだと思うから。
そこまで寒くないから、ダウンコートを着て歩いていたらあついくらい。
まだ少し明るさがのこっているうちに歩きはじめる。
澄んだ空に夕日のあかさがよく映えて、少しずつあたりがうす暗くなっていく瞬間、、いちばん好きなおさんぽ時間です。
何ともいえない深みのある空のいろと、冬のすこしとがった空気。
自分の中身が外の新鮮な空気に浄化されて、まるごときれいに生まれ変わるような感覚がして、こころがすっきりする。
今日はすきま時間のリフレッシュが目的だったから、4,867歩と歩数は少なめ。
「よし、今日は運動するぞ!」と意気込んで、張り切って早歩きするときはだいたい1万歩前後。
嫌なことがあって、ただひたすらゆっくり歩き続ける日は、2万歩くらい歩くこともある。
さんぽをしていると、いろんなことを考える。
今の自分のこと、これまでのこと、これからのこと。
頭の中にたくさんある棚の、引き出しの中身をのぞいてみる。
ラベルがついていない、あるいはすでにラベルがあるものの、上から別のラベルを貼りなおす可能性のある、たくさんの引き出し。
その中にある、ジャンルを問わない、いろんな種類のことについて考える。
それぞれ、取り出して眺めてみるたびに、ちがう色や形にみえる。
おかれている状況や、そのときの心模様によって見え方がかわるから、いまの自分には、まだ整理できないことなんだな、、と。
むかしは、いまよりもっと、せっかちで、結論を出すことに急いでた。
よく噛まず、鵜呑みにして、容量オーバーして、消化不良になって。
それでも、取りあえず引き出しの中に入れて、ふたをして、適当なラベルをつけて、だいたい似ていると決めつけた分野の棚にしまった。
自分のなかにある尺度があいまいなとき、心に余裕がないとき、環境や状況が悪いとき。
ものごとの判断がうまくいかず、後悔してしまうこともしばしば。
だけど、それも、失敗ではないはずだから。
深呼吸して、あたたかくて甘いものをたべて、ほっとして、、落ち着いて体制をたてなおそう。
本当につらくてどうしようもないときは、ひとまず離れてみること。
これができるようになるまでは、本当に苦しかった。
毎日のように、夜になると自然に涙があふれて、お酒を飲んでさらに泣いて、のどがからからになって、心が冷たくなって。
でも、今になったら、、自分を失うことがなければ、何度でも、やり直せると思う。
全く同じことは無理だったとしても、別のことだけど同じ本質で、似てることは何回でも起こってくるから。
辛いときには「ここしかない」とか「こうしかできない」とか、、どうしようもない、逃げられないと思っていることでも、離れてみたら案外そこまで大切じゃなかったと思ったりする。
「何でもっとはやく離れてみなかったんだろう」って。
断ったり、捨てたり、離れたりするって、悪い状態にひたっているときは、とっても難しいこと。
今の自分がベストの状態で向き合えることばっかりが、日々おこるわけじゃない。
やってみて、対応が無理そうなことだったら、いちど離れて、いつかまた向き合えるときがくるまで、力をたくわえる。
少し余裕ができたら、頭のなかの引き出しのなかをのぞいてみて、改めて振り返って考えてみればいい。
次に似たことが起こったときには、きっと自分が納得するような対応ができるはず。
誰かの目を気にして「うまく行かなかったらどう思われるか」は考えないようにしよう。
自分の人生だし、できるのは自分のことだけ。
他人が勝手に思ったり言うことは、コントロールできないから。
とりあえず、放っておく。
勝手な人たちは、案外すぐ意見を変えたりして、きちんと対応していたら、びっくりひょうしぬけするような結果になるし。
しんどいときは、ひとまず、頑張るのをやめてみよう。
どんなことでも。
いろんなものをそぎ落として行って、残るものだけが、いま自分にとって本当に必要なことだと思うから。
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